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▲創業当時の肉の万世 |
東京秋葉原に「万世橋」から名前をとった肉の万世が産声を上げましたのは、まだまだ戦後の混乱も収まらない昭和二十四年九月九日のことでした。
電気部品商より、折からの統制の外された食肉業への転業として、創業者鹿野明・ソノ子夫婦は素人の発想を生かした独創性により、現本店の地に小さいながらも当時としては斬新なガラス張りの精肉と惣菜店の暖簾を出すことが出来ました。また、包装紙もまだ古新聞が使われていた時代でしたが、何か楽しい夢のあるものと童画家林義雄先生にお願いしてモーちゃん、ブーちゃんの描かれた楽しいものをデザインして頂きました。この包装紙は現在もそのまま使っております。
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▲店内の様子 |
▲万世の包装紙 |
当時の日本人全てが抱いていた「おいしいもの」へのあこがれと、折からの食生活の洋風化と共に少しずつですがお客様に知って頂くようになりました。
万かつサンド、洋食ずし(こちらは残念ながら現在では製造しておりません)等の独創的な商品開発により後楽園球場のナイターや、小田急ロマンスカー車内での販売等によりお年寄りからお子様まで幅広いお客様に喜んで頂くこととなり、知名度の向上にも一役かいました。また、お馴染みの赤い牛マークがお目見えしたのも丁度この頃でもありました。このマークはグラフィックデザイナーで著名な福田繁雄先生によるものです。
その後お陰様で都内の洋食店からラーメン専門店そして駐車場を持った郊外型の店まで、より多くのお客様に黒毛和牛のおいしさをお楽しみ頂いております。
万世では、よりおいしくて安全な和牛肉をお値打ち価格でお召し上がり頂く為に、全国から良質の黒毛和牛を厳選して仕入れたものだけを万世和牛として提供する努力を続けております。
創業からの肉の万世の歩みを振り返りながら、黒毛和牛を中心とした肉料理専門店として創業の精神を忘れることなく、いつまでもお客様本意の「おいしさ」「安全」「お値打ち価格」を守り、全従業員力を合わせて努力をして参りますので、末永いご愛顧の程よろしくお願い申し上げます。 |
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